JA多気郡のプレミアムな生産者

伊勢茶の生産を継承

 大台町の特産品、伊勢茶。かつては大台茶と呼ばれ、その歴史は古く、室町時代から江戸時代にかけて伊勢商人が日本中に広めたと言われているほか、文禄3年(1594年)に茶を年貢として納められていたという記載もあるほどです。しかし近年は後継者不足等の影響で、生産量も減少傾向にある中、大台町で伊勢茶生産に想いを懸ける遠藤宏明さんと真奈美さんご夫婦にお話しを伺います。

【大阪から移住】
 大阪出身の宏明さんは、実家で伊勢茶を生産している奥様の真奈美さんとの結婚を機に農家になることを決意、移住します。「楽しそうなというか、期待感の方が強かった」と語る宏明さん。笑顔で語るその表情は、生産者の雰囲気そのものです。
【互いに感謝】
 幼少の頃から伊勢茶に慣れ親しんでいた真奈美さんは「最後まで手を抜かない探究心の強い性格で、生産者に向いていると感じています。力仕事を率先して代わってくれたりなどの気遣いにも感謝しています」と優しく微笑みながら語ります。
また、宏明さんは「妻は精神的に辛い時などさりげなく気遣ってくれる優しさに感謝ですね」と穏やかに語ります。
【伊勢茶に懸ける】
 真奈美さんのご実家は大台町の大西製茶で、実父の大西英夫さんは生産歴47年のキャリアを持つ伊勢茶のスペシャリスト。数々の表彰実績など、永きに渡り伊勢茶生産に貢献されてきました。その伝統を引き継ぐ宏明さんは「手を掛けた分、良いお茶ができると思います。その時期に対処しなければいけないことをこなしていく大変さがありますね」と宏明さんは語ります。
【豊かさを育む】
 栽培したお茶を揉機で袋詰めにして、自社ブランドでも販売されている遠藤さんご夫婦。「みなさん、美味しいお茶を味わってくださいね」。伊勢茶を育む大台町の豊かな土壌は、この地に住む人たちの心の豊かさをも育んでいるようです。

Photo:遠藤宏明さん・真奈美さん

価値ある経験を積み重ね

【夫婦で継承】
多気町で米や麦、白菜などを複合栽培している大西敏彦さん(42)は就農7年目。妻のエリさん(39)と両親の4人で約33haの農地を管理し「前川次郎柿」の出荷が終わる12月まで忙しい日々が続きます。
 敏彦さんは以前、大台町の福祉施設で介護福祉士として15年間勤めていました。エリさんは敏彦さんの働く施設に実習生として訪問し、仕事のことを学んでいくうちに距離を縮め、2002年に結婚されたそうです。両親は昔から農業を営んでおり、もともと定年後は実家で就農しようと心に決めていたとのこと。「手伝いでの農業ではなく、早く就農して父からたくさん農業の事を学びたいという思いが強くなり、前の仕事に区切りをつけた」と語る敏彦さん。夫の決断に最初は不安もあったエリさんでしたが、両親がしっかりした土台を作ってくれていたこと、またひたむきな敏彦さんの熱意に答えたいとの想いが強くなり一緒に農業の道を歩んでいくことを決意されたそうです。
 敏彦さんが就農して米と麦の栽培面積を増やし、新たに大豆と白菜の栽培も拡充。ナバナは敏彦さんとエリさん2人で栽培し、エリさんは収穫と袋詰めをサポートされています。「二人で手の届く範囲の面積で栽培し、質を維持しています」。3年前に法人化し、農地の管理や栽培から出荷までは敏彦さん、エリさんは事務作業などで、敏彦さんをサポート。「家のことや仕事のことも、きちんとしてくれすごく助かっています。妻の存在は心の支えですね」と敏彦さん。エリさんは「規模を大きく広げ、真面目に頑張っている敏彦さんに感謝しています」と語ります。
 敏彦さんは「まだ知識が足りなくて父に頼るところもありますが、父が積み重ねてきた農業の知識を守りながら、よりおいしい農作物を作れるよう努力していきたい」と意気込んでいます。

Photo:大西敏彦さん・エリさん

伝統野菜“伊勢いも”を守る

【伊勢いも品評会で金賞受賞】
多気町の三谷嘉夫さん(81)は60余年に渡り栽培に取り組んできた巧の農業者です。平成28年度の伊勢いも品評会で金賞を受賞されるなど、栽培にそそぐ情熱は今も不変です。その管理方法は“土八分”といわれるように、最初の土づくりに細心の注意を払うこと。種いもの植え付け後、芽が出る直前に肥料を施したり、敷きワラと防除シートで覆う作業、良いつるを一本だけ残す芽かき作業、除草作業など全て手作業とのこと。手間を惜しまず大切に育てます。「種芋は親に似るのだよ」と語る三谷さん。栽培では次年度用の種いもを残すのですが、大きさと丸みを重視し、出荷をすれば高値が付く形状の良いものをあえて種いもとして残しているそうです。親子の形状が似るところは人間と同じですね。

【伝統野菜を守る】
300年の歴史を持つ伊勢いも。古くは“山の芋”と呼ばれていました。明治14年に開かれた内国博覧会へ出品され、その名は全国に広まり、明治の終わりにはアメリカへ輸出されるほど重用されました。また、大正・昭和初期には三重県代表として皇室へも献上されていた歴史もありました。
三谷さんが幼少の頃は、多気町津田地区の殆どの農家で米と伊勢いもが栽培されていたそうです。しかし、時代の流れとともに伊勢いも農家は大幅に減ってしまいました。地元の誇り、伝統野菜を残さねばとの思いが、80歳を超えてもなお、栽培し続ける原動力となっているようです。「伊勢いもを若い後継者に繋げたい」と語る三谷さん。自身よりも年長の伊勢いも農家が他に3人もおり、皆同じ気持ちで続けているとのこと。お元気に、いつまでも続けていただきたいと願います。好きな食べ方は?の問いには「とろろが一番だよ」。皆さんはどんな食べ方が好きですか?

Photo:三谷 嘉夫さん

伊勢いも 新規就農者の挑戦

【新規就農者として】
 津市美杉町出身の小川忠康さん(42)は、平成27年4月から伊勢いも栽培の道に進んできたばかりの新規就農者です。元々はコンピューター関連の会社員をしていましたが、転職にあたり幼少の頃に家庭で野菜などを作っていた記憶や、屋外での開放的なイメージのある農業を意識し始めたところへ、種苗会社の企画する2泊3日の農業体験ツアーへ参加、「このツアーが就農への決定打となりました」。
とはいえ、全く知識のないところからのスタート。そこで、松阪市にある三重県農業大学校へ入校、1年間野菜栽培の基礎知識を学びます。同時に卒業後の就農先を探していたところ、多気町が新規就農者への募集を熱心に行っていることを知り、そこで初めて伊勢いもと出会います。「実は伊勢いものことをあまり良く知りませんでした」と語る小川さん。地元でしか栽培できない歴史ある伝統野菜なので「だから多気町さんが熱心なんだ」と知ったといいます。「研修先の農家さんを始め、たくさんの方々に教えていただき本当に感謝しています。当初不安視していた両親も今は応援してくれています。周囲の期待に応えられるようこれからも頑張っていきたい」と一言ずつ、噛みしめながら語ります。

【JA多気郡も連携】
地元の誇る伝統野菜のため、前出の多気町を始めJA多気郡も栽培方法などの研究に関わっています。また、三重大学や相可高校生産経済科、三重県も各々の立場で連携しながら研究などを行なっています。こうした連携や取り組みは、小川さんたちの存在があってこそではないでしょうか。

Photo:小川 忠康さん

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新規就農への挑戦

新規就農への挑戦明和町在住の濱口仁志さん(36)は、就農2年目の若き担い手。ご家族の協力の下、季節野菜を中心として栽培してみえます。元々はイタリアンのコックとして勤務。素材を活かした美味しい料理を作ることよりも、素材そのものを作ってみたいと新規就農を思い立ったとのこと。当初は明和町役場へ出向きアドバイスを受けていましたが、その後、明和町商工会で知り合った新規就農者の知人たちと一緒に大型ハウスを借り受けます。いざ栽培となったところで指導を受けるべく明和営農センターへ駆け込み、現在では師と仰ぐ浦田営農指導員と出会います。「農家に生まれ育ったわけではなかったので、農業用語の意味も全くわかりませんでした」と笑顔で語る濱口さん。「今でも日々勉強です」。

【コックとしての経験が】
 ある日、農産物直売所へ収穫した野菜を卸しに行った際、買い物客から質問を投げかけられたことがあったそうです。「これはどうやって調理して食べたらいいの」。
 この問い掛けには、元コックとしての〝おもてなしの心〞に火が付いたそうです。「調理法を聞かれると思わず高揚しますね。つい、熱く語ってしまいます」と嬉しそうに語る濱口さん。そして「当初は家族や友人から、農業を始めるって本当か?とかなり驚かれました。父からは一生の仕事としての覚悟を問われましたが、いまでは心から応援してくれています」と語る表情からは就農者としての自信も垣間見えます。

【感謝の心を大切に】
自らを〝バジリスト〞と称する濱口さん。コック時代から、バジルの香りが大のお気に入りだったとのこと。収穫直前のバジル畑で作業しながら「ここへ来ると独特の香りに癒されます」。そして、深く息を吐き出した後に「いま、こうして就農できているのも新規就農者の仲間や、ハウス周辺の農家さんほか、関わっていただいたすべての皆様のおかげです。期待に応えられるよう今後も農業を突き詰めていきたい」と語る濱口さん。ここ多気郡管内でも、地域を支える若き就農者が動き始めています。

Photo:濱口 仁志さん

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技術とともに感謝の心を継承したい

【イチゴ栽培の道へ】
明和町でイチゴ栽培と水稲を営んでいる山口剛司さん(58)は、農業歴29年。三重県から指導農業士に認定され、就農セミナーでアドバイザーを務めるなど次世代育成にも熱心に取り組んでみえます。
山口さんはサラリーマンとして働いていた25歳の時、父親の他界を機に名古屋から母親の住む故郷へ帰ることを決めました。3年程漁師などをしていましたが、元々実家が田を所有していたこともあり農業に転身。当時の営農指導員(現JA多気郡 西井正常務)からイチゴ栽培の誘いを受けて説明会へ参加し、地味で根気の要る栽培であること、痛みやすいため海外からの輸入は難しい等の性質から「手間がかかるほど収益性が高い」と判断、イチゴ栽培を決意したことが後の進路を決定付け、「この選択で間違いなかった」と語っています。

【感謝の心を忘れない】
山口さんは「今の自分があるのは、母親や妻を始め周囲の人たちのおかげ」と感謝の意口にされます。同期に海苔養殖からイチゴ栽培へ転身し、隣同士の場所で競い合うように始めた当時55歳の山中芳夫さんの存在も大きかったそうで「農家としては大先輩。とても熱心な方で良きライバルに出会えたことに今でも感謝」と山口さんは当時を回顧されます。高齢でイチゴ栽培を辞めた山中さんから15年前、かつて競い合った隣の場所を譲り受け、ここに自身の高齢化も想定し作業の楽なイチゴの高設栽培も12年前から始めました。
 
【次世代へ繋ぐ】
次世代育成のため、指導農業士として地元明和町在住の吉田裕俊さん(28)を農業研修生として招き入れました。吉田さんは「技術的なことはもちろん、多くのことを吸収したい」と元気に話します。山口さんは「どんどん吸収してライバルになれ」と語りながらも、優しく見守る表情は、まるで自身と山中さんとの関係と懐古しているようです。


Photo:山口 剛司さん(右)と吉田 裕俊さん(左)

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採りたてキノコのおいしさを伝えたい 

【キノコ狩り体験施設がオープン】
平成27年9月26日、多気町でキノコ栽培を営む野呂キノコが、キノコ狩り体験施設をオープンしました。山から1mの長さに切り出された原木は、平地へ交互に並べられ、子どもたちにも安心して採取を楽しめるよう工夫されています。入場は無料で、採ったキノコをグラム単位で販売するシステム。オープン初日から多くの人で賑わうなど、好スタートを切った同施設は、代表を務める野呂昌生さんと妻の実幸さん、長男の洋貴さんの3人で運営を行なっています。「採りたてキノコのおいしさを伝えたい。また、パック詰めしか知らない子どもたちに実際に生息している場面を見せてあげたい」と語る昌生さん。収穫時期にズレのある8種のキノコを準備するなどの工夫がされています。

【まずは地元の人たちへ】 
昌生さんは約20年前に脱サラし、家業を継ぐ形でキノコ栽培の道へ。長男の洋貴さんが家業を継ぐため、キノコ栽培の道へ入ったのを契機に、既存の販売ルート以外での収益を上げる体制を模索し始めました。昌生さんは思案の末に「採りたてキノコは本当においしい。まずは地元の人たちにこのおいしさを伝えることから始めよう」と、キノコ狩りのできる施設を作ることを決意し、五桂池ふるさと村に隣接する土地を確保、ハウスの建設や原木切り出しなどの準備を経てオープンにこぎつけました。
 
【体験型レジャーの拠点として】
現在、きのこ狩りスペースのほか、バーベキューコーナーを作ってその場で食べていただけることも検討されているようです。五桂池ふるさと村を含めた多気町の同エリア一体は、数年後に大型リゾート施設の建設も確定し、休暇を楽しむ観光客がこれまで以上に集まってくることが予想されています。「たくさんのお客様にキノコ狩りを体験してもらい、味や感想、ご要望など聞いてみたいです。みなさん、ぜひ来てくださいね」と語る洋貴さん。キノコ狩り体験施設を通して地域活性化の一翼を担うなど、野呂さんたちに対する期待は今後益々高まっていくことでしょう。


Photo:野呂 昌生さん(左)と洋貴さん(右)

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遊休地でどじょう養殖 大台町下真手 どじょうの会  

【遊休地を活用】
大台町下真手で遊休地を活用し、どじょうの飼育を始めたグループがいます。名付けて「どじょうの会」。山本さんを代表とするメンバーの6人は、仲の良い仲間です。きっかけは下真手にあるお寺「養国寺」所有の田んぼを管理する檀家さんが高齢で作業ができなくなり、遊休地になってしまったことから。すぐそばには墓地があり、人通りも多いことから、山本さんたちはなんとか活用することができないものかと考え、ナバナを植えようということになり、栽培を試みました。平成25年のことです。しかし、あともう少しで収穫というところで全て鹿に食べられてしまい、ナバナの栽培は失敗に終わってしまいました。

【どじょうの会が発足】
さてどうしたものか。山本さんたちは皆で意見を持ち寄りながら、何度も話し合いました。そしてこの地は宮川のきれいな水が豊富にあることから、どじょうを飼ってみようということになり、昨年、遊休地である13アールの田んぼを池にする造成に取り掛かりました。池の周りには芝生を植えるなど、どじょうが逃げ出しても傷がつかないよう工夫しました。そして7月に岐阜県の業者を視察。まず554匹のどじょうを購入し、飼育場へ放流しました。

【どじょうで町おこし】
田んぼの造成、どじょうの購入には町の地域活性化支援事業補助金を活用しました。現在では稚魚も繁殖し、数千匹になっています。秋には、ふるさとプラザもみじ館でどじょうを調理してもらい試食会をしました。
「どじょうは骨も柔らかく調理がしやすい。味はとてもあっさりしていて、から揚げや蒲焼、どじょう鍋にすると癖もなくとてもおいしい。実はうなぎより栄養が高く、精力剤にもなるのですよ」と代表の山本さんは話します。
「大台町に行けばおいしいどじょうが食べられるというイメージにまで持っていければ良いかな」と語る熱きメンバーたち。1~2年後までには販路を広げ、コンスタントに安定供給ができるよう、料理方法を策定しながら考えていきたいと計画を立てています。

どじょうの会
代表:山本松生さん 山本 保さん 尾上 薫さん 門野清一郎さん 山本啓子さん 門野筆子さん)

Photo:左から門野清一郎さん、山本松生さん、尾上薫さん、山本保さん

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次郎柿のおいしさをいつまでも

【次郎柿生産に携わる】
多気町の小野健一さんは高校を卒業後、三重大学農業別科(当時)で農業を専門に学び、永年に渡り果樹生育の指導者として生産者をサポートしてきました。その後、指導者としての道をリタイアし、自ら次郎柿などの果樹栽培に携わる傍らJA多気郡柿部会長として活動するなど、多忙な日々を送られてきました。

【柿部会の取り組み】
次郎柿の中でも早熟品種の早生次郎柿は多気町が発祥。広域で生産されている富有柿に負けない“シャキシャキした歯ごたえと糖度の高い甘味”が特徴です。地元での根強い人気に支えられた出荷を中心に、名古屋、大阪など都市部での販売実績も積み上げてきました。最近では、三重県の支援を受けながら、東南アジアのタイ王国への輸出も展開されているとのこと。「多気郡産の早生次郎柿はタイの人たちの味覚に合っているようです」と語る小野さん。昨年来日されたタイの百貨店バイヤーから、かなり手ごたえを感じたようです。

【生産者の努め】
小野さんは「次郎柿など果樹は嗜好品。調理して食べるものではないので、その味覚はストレートに伝わります。美味しい柿を生産、収穫しないと」と語る一方、「産地として、量を採っていき続けることが大事」と噛みしめるように語ってくれました。基本となる生産技術があって初めて、高級品化や高付加価値化といった取り組みができるとのこと。これからも柿部会長として、また生産者として、多気郡産早生次郎柿を“これからも永く生産し続けること”や“高い付加価値を付けるため”に活躍の場を拡げていくことでしょう。

Photo:小野 健一さん(左)とタイ王国の百貨店バイヤー(右)

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年間を通じて子どもたちに稲作を教える

【相可小学校サポート隊田ん田ん
(でんでん)クラブを結成】
多気町兄国の扇田榮夫さんは40年間農林水産省三重食糧事務所に勤務され、長年農業分野に関わり約12年前に退職しました。
その後も地元の農業振興に対する思いは強く、相可小学校の先生から、子どもたちに米の栽培について教えてほしいとの依頼を契機に地域の女性たちと「相可小学校サポート隊田ん田んクラブ」を結成されました。


【授業の内容】
毎年、3年生に対して稲の1年間であるもみの塩水選から、しめ縄作りまでを教えています。3月には授業のお礼にと田ん田んクラブのメンバーが小学校に招待され、子どもたちから歌や笛など演奏を、扇田榮夫さんからは昔の遊びを教えたり、農具を披露するなど交流を深めています。また3年生以外にも、4年生にはタケノコ堀り、1年生には緑のカーテン作りでキュウリやゴーヤーの苗植えを、保育園児にはもみ殻を集めて、昔ながらの薫炭で焼き芋作りを実演しています。
【子どもたちの成長が楽しみ】
「4月から3月までの1年間で子どもたちの成長を肌で感じ取ることができとても嬉しい。
収穫後はどれもおいしく食べ、野菜が嫌いな子どももおいしいと言って食べてくれるようになります。自分たちが作った米や野菜など、自然の恵みに感謝しながら食べることで農業の大切さを知ってもらいたいですし、この地方から食料自給率を拡大していきたいですね」と語る扇田さん。熱い気持ちは子どもたちにもしっかり伝わっているようです。

Photo:扇田 榮夫さん

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第44回日本農業賞三重県代表に農事組合法人丹生営農組合が受賞

【日本農業賞三重県代表】
多気町の農事組合法人丹生営農組合が第44回日本農業賞三重県代表を受賞しました。同賞は日本農業の確立を目指して意欲的な活動を行い、地域社会の発展等に貢献している団体などを表彰し、NHKやJAグループの媒体を通じて地域住民への理解と国際競争力のある農業の実現を目指しており、年1回、各都道府県から代表が選出されるものです。
【丹生営農組合を設立】
丹生営農組合のある同地区の水田地帯では、昭和50年頃から主にタバコや秋冬野菜体系による転作が取り組まれていましたが、昭和62年から実施された県営ほ場整備事業が契機となって、平成2年に丹生農用地利用組合(当時)が設立されました。当初は同地区内の2戸の担い手による小麦の集団転作から開始しましたが、後に水稲作業にも展開、組合を介して地区内の担い手に全作業を委託する利用調整も始まりました。平成16年には約100戸による大豆生産組合を設立。平成18年、2戸の農業者による小麦生産と大豆生産を一本化した特定農業団体「丹生営農組合」が設立されました。法人化を目指す際にJAグループの指導も受けやすい「農地組合法人が最も良いと判断しました」と語る同組代表理事組合長の中村豊實さん。これには地域の人たち全員の同意が必要でかなり時間を要しましたが「やはりこの集落には一番適している」と当時を振り返ります。
【積極的な地域との関わり】
地域との関わりも積極的に行われています。地元の自治会や保育園・小中学校、老人会や青少年育成町民の会などの環境教育活動を始め、図書館を通じた社会教育活動などその関わりは多岐に渡ります。中でも農業法人せいわの里をはじめとする組合生産に関わる連携は、中軸的な活動となっています。せいわの里が運営する「まめや」は、農村料理を中心に提供されている施設で豆腐やみそといった大豆加工が行われており、学校給食にも使用されています。その消費量に対応するため、大豆コンバインを導入することで作業性を高めニーズに応えています。また、地域活性化施設である「ふれあいの館」を運営する地元企業の川原製茶との新商品開発なども行われています。その他、新たな取り組みとしてしょうが栽培を展開、付加価値の高い「金時生姜」を生産・独自加工をすることにより、高い収益性とブランド化を図っています。この金時生姜は伊勢の老舗菓子店へ出荷されるほか、佃煮などのオリジナル加工品としても展開しています。
【後継者を育てたい】
「多気で活躍する後継者を育てたい」。平成26年に若手職員を採用したほか、今年は農業研修生の受け入れも予定されています。丹生地区はかつて伊勢街道の宿場町として栄え、丹生大師の参拝客で賑わうなど歴史の趣が深い町。この静かな山間の町に、いにしえの賑わいを取り戻すような活気を、集落みんなが期待しているようです。

Photo:中村豊實代表理事組合長(前列左から2番目)と職員のみなさん

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地域活性化のネットワークづくりを目指して

 JA多気郡青壮年部は創設から永きに渡りさまざまな活動を継続してきましたが、現在では20数名の部員で構成、制約された活動内容となっていました。この自然環境に恵まれた多気町で3代目として農業を営む中井正法さんは、平成25年末に同青壮年部に所属すると同時に部長を任されることに。
「突然部長になってしまって」。周囲は先輩ばかりでリーダーシップを発揮しているわけでもないと謙遜しますが、誰にでも好かれる前向きな性格に先輩たちが期待したようです。今では部員たちと一緒に同郡内生産者の視察に回るなど精力的に活動を実施、新たなネットワークづくりに動き出しています。
中井さんは農業系高校で学んだ後に後継者として家業入り。そして4年が経過しました。当初3年間は祖父や父、親戚の方々などに指導を受けていましたが、青壮年部に加わってからは家族以外の学ぶべき先輩や手法などが一気に増え、大いに刺激を受けるといいます。「青壮年部に加わることでのネットワークは、自身の生産にも寄与するところが非常に多い。この恩恵を同じ地域の若い世代と一緒に分かち合っていきたい」と語る一方で、後継者不足に悩むこの地方の現状を肌で感じ憂慮しています。
一昨年他界した祖父の口癖は「必ずみかんの時代がやってくる」。この言葉を胸に刻みながら、青壮年部長として、そして父と共に継承していく農業を「楽しみたい」と語る姿は何とも頼もしい限りです。

Photo:中井さん親子(写真左から)法夫さん(57歳)、正法さん(24歳/JA多気郡青壮年部部長)

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最高の松阪牛を提供したい

 平成26年11月23日(日)、松阪農業公園ベルファームに於いて第65回松阪牛共進会が開催され、全50頭の出品牛の中から、大台町熊内で畜産を営む岡本有喜さん、憲治さん親子の肥育する「こすもす号」が見事四席を受賞されました。子どもの頃から松阪牛を身近に感じながら育った憲治さん、農業系専門機関で畜産知識を学んだ後に家業を継ぐべく仕事を始めました。後継者不足、そして大手企業の参入など、畜産を取り巻く環境は厳しさを増しています。先代から続くこの仕事を継続し生活の糧としていくという自負の下、松阪牛を肥育する若手畜産家としてこの地方の、この業界を牽引し、最高の松阪牛を提供していくという決意が感じられました。

Photo:岡本 憲治さん 28歳

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第30回三重県産業功労者表彰を受賞

 平成26年11月14日、三重県内の産業振興に寄与した功績をたたえる産業功労者表彰(農林水産業部門)に、元県農村女性アドバイザーネットワーク代表世話人の大西よしさんが選ばれました。同賞は事業活動等を通じて、農産物の市場開拓や雇用拡大などの産業振興に貢献した人に対して贈られており、昭和60年から毎年実施されています。
 大西さんは永年に渡り、県の農村女性アドバイザーとして後継者育成活動に尽力されてきました。また、明和町で初の女性農業委員を努めるなど農村における男女共同参画を推進、女性の雇用拡大にも力を注がれてきました。花と野菜の直売所「サン」を開設し、生産者に売り場を無償で提供するほか、あられや餅、味噌等の農産加工物の生産により高齢者の雇用を生むなど、その活躍は多くの人たちに支持されてきました
 元々は水稲を中心に麦、大豆栽培を生業とする家内農業でしたが、JA多気郡の西井正常務理事にアドバイザーへと導かれたこと、また隣接する松阪市で女性農業家として活動する青木みつ子さんとの出会いから農業に対する想いが一気に開化、その活動に情熱を注ぐことに。「一般企業でも女性の活躍の場が拡がってきています。農業の分野でも女性が活躍することで、もっと農村地域は活性化するはず」と、その信念は揺るぎないようです。
 「食の大切さを次世代へ繋げなければ」。その熱意は小学校にも拡がっていきました。食育にも注力し農業体験を指導、児童と一緒になって汗を流し野菜を収獲します。子どもたちからお礼の絵や手紙が届くと「とてもうれしくて。将来、農業に魅せられた若者がこの地域で活躍してくれたらいいかな」と、キラキラ輝く瞳で語る大西さん。農業に対する熱い想いはまだまだこれからも続くようです。

Photo:大西よしさん(後方一番左)と「サン」のみなさん

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年中味覚狩りができる農園が夢

 多気町の観光施設「ふるさと村動物園」の近郊に、河合さん親子のイチゴハウスがあります。イチゴ狩りのシーズンには多い日で500人の観光客が訪れます。
 河合家は、敏之さん、重人さん、良太さんの親子3代で水稲4㌶、ミカン100㌃、イチゴ45㌃、ブルーベリー25㌃を栽培しています。代々ミカン農家でしたが、重人さんは収穫体験型のビジネスモデルに転換することを決意、18年前にイチゴ狩りができるハウスを立ち上げました。
 「当初2年間ほどはお客が来なくて。熟しすぎたイチゴを出荷するわけにもいかず、とても悔しかった」と語る重人さんは、行商で売り歩いたことも。
 転機は3年目で訪れました。新聞掲載を機に名古屋方面から問い合わせが殺到、お断りするほどの予約の電話が鳴り響いたのです。
 この人気は一過性では終わりませんでした。他の園などを視察して顧客満足を探求した結果、上級ランクのイチゴを含めて、出荷に振り分けることなく来場客用として用意したことで、多くのリピーターが訪れたのです。
 良太さんが新規に取り組んでいるブルーベリー園はイチゴのオフシーズンを考慮し、親たちが温かく見守る中、2年後のオープンを目指しています。
 理想は、年中味覚狩りのできる四季を通したおもてなし。「今後は、キノコ狩りも始めていきたい。取り組みたい生産者には、ノウハウなどを教え、一緒に盛り上げていきたい」と語る敏之さん。
 重人さんは「栽培面積が充分あり、きちんと生計が立てられるなら後継者問題は解決できる。家族だけでなく地域の農家と協力して多気町に多くの観光客を呼び込みたい」と語ってくれました。

Photo:河合さんご一家
    (写真左から)敏之さん(84歳)、重人さん(57歳)、良太さん(27歳)

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遊休地利用でトマト JA支援で絆固く

中井憲次さん、釜谷政佑さん、中西貞文さん、三谷定美さんの4人は気心の知れた幼なじみ。今でも竹馬で遊んだ頃が懐かしく、一緒にいると昨日の事のようだと無邪気に語ってくれます。「66歳、67歳となった今でも、何でも言い合えるのですよ」と話す仲良し4人組は、四疋田トマト部会員でもあります。
農事組合法人四疋田営農組合代表理事をしている三谷さんは、JA多気郡多気営農センターの営農指導員から昨年、「農家が高齢化し、畑や田んぼに草が生え遊休地が多くなることから、この遊休地を利用し、加工トマトの栽培をしてみませんか」と生産農家の募集依頼を受けました。ちょうどその頃、中井さん、釜谷さんが会社を定年退職、中西さんも自営業。それぞれ立場は違えど4人とも何かを始めたいと考えているところでした。「良いタイミングじゃないか。じゃぁ、やっていこうか」ということになり、名前を四疋田トマト部会と名づけ、今年から愛知県の会社との契約栽培で、加工トマトの栽培を始めました。
「私たちは利益を目的とはしておらず自分の健康とボランティアでしています。肥料の施し方、農薬の使い方、鍬の使い方、土のかけ方など最初はわからないことばかりで苦労し、全てJAさんに指導してもらっています。」とみなさんは言います。「朝起きたらすぐ畑に行って成長を確認します。毎日育っていくのを見るのがとても楽しみです。これから害虫や病気などいろいろあると思いますが、課題を克服し学習していきたい。目標は5トンです。来年は面積をもっと増やし、定年退職して家にいる人にも参加してもらい、トマトを通じて地域のきずな作りの場を作っていきたい」と代表の中井さんは意気込みを語ってくれました。

Photo:四疋田トマト部会のみなさん
    (写真左から)三谷定美さん66歳/中西貞文さん67歳/中井憲次さん67歳/釜谷政佑さん67歳

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