次世代へ農業を繋ぐ想い
高校生で就農を決意
明和町八木戸の小竹行哉さん(54)は、地元になくてはならない農業法人である株式会社ヤマヨ組の代表取締役。稲作と運送業との兼業農家の父と、漁業に携わる母の元に生まれました。就職に有利な工業高校へ進学するも3年生時には円高不況による就職氷河期となり、進路に迷う中、母の農業への移行もあり父から「おまえが継ぐなら農業を拡大する」と告げられ就農を決意。両親の勧めもあって三重県農業大学校へ進学して基礎を学び、家業に就きます。
金の卵
当時は農業に就く同級生などおらず、両親をはじめ周囲の農家さんも年上ばかり。大事に育てようという期待を一身に受けていたそうです。「まさに金の卵。運が良かった」。父の教え方は手取り足取りではなかったものの、困難な場面では必ず助けてくれていたそうで「父も母も、周囲の農家さんにも、いま思えば感謝しかありません」と懐かしそうに語ります。
35歳で結婚、同時に父から経営委譲を受け、実績・経験ともに充実してきた41歳の時に株式会社ヤマヨ組として法人化へ。さらなる担い手の拡大を図るため、弟のほか従業員2名を採用します。「これまで同世代の就農者は殆どいなかった。これからは若い人たちも含めて仲間の輪を拡げていきたい」と法人化を機に決意を固めたそうです。
夫婦岩のしめ縄
平成21年、伊勢神宮カケチカラ会員でもある父から「夫婦岩のしめ縄に使用するわら栽培の依頼を受けた。作ってくれないか」。これまで手掛けていた飛騨の農家さんが栽培できなくなったことで二見興玉神社の宮司さんが困っていることを聞き、これまでも地域振興に力を入れてきた行哉さんは「地域貢献の象徴的な仕事。観光支援でもあるし、受けるしかない」。荒波に耐えられるわらを栽培するためには、長くて強い品種を定植する必要があることや、稲の刈り取りをバインダーで行うため、手間も費用も掛かり「採算は不問。奉納の精神」と力強く語ります。明和町で作られていることに何とも誇らしくなりますね。
農業の将来を見据えて
ヤマヨ組の社員は7名。地元の農業が継続していくことを意識して、30歳前後、40歳代、50歳代と意図的に年齢のバランスを取っているそうです。また、三重県指導農業士や明和町認定農家、明和町農業委員などの役務や、スカイブルー生産組合合同会社の代表社員、アグリエアロサービス代表を務めるなど、いくつもの顔を持つ行哉さん。「若い頃に育ててもらった分、今度は自分が若い仲間の育成に努めたい」。担い手として、次世代へ地元の農業を繋ぐ想いに溢れています。
Photo:明和町 小竹行哉さん 2024.3